先日の高知でのコンサートの翌日、せっかくなので少しでも坂本龍馬ゆかりの場所を訪ねたいと思い、記念館や生誕の地を訪れましたが、もう一か所、坂本家の墓地へもお参りしました。マネージャーが数年前に訪れた時の記憶を頼りに行くと、そこはとてもわかりにくい場所ではありましたが、綺麗に整備された墓地公園になっておりました。数年前までは全く違った景色だったそうです。
そして、坂本家の他にもいろいろな方々のお墓があったので、平井収二郎のお墓も探していると、後ろから声をかけられました。
その方は、その墓地公園を築くまでに、十数年もの間、このお墓の数々の保存運動を続けてこられた、歴史家のMさんでした。ご本人があまり表立つことを望まれていないようですので、あえてここではこうしたご紹介にしておきます。

坂本家の人々だけでなく、その時代とても影響を与えた知る人ぞ知る方々のお墓が多いのも、Mさんのご説明でわかりました。

坂本龍馬がよく眺めたと思われる高知城が一望できる墓地中央にある休憩所。向こうに小さく高知城が見えるのが確認できます。
Mさんからは、とても貴重なお話をたくさんお聴きすることが出来ました。そして思いました。
矢崎節夫先生は、みすゞさんの詩「大漁」に出合った時、他の詩はいったいどんなものがあるのかと、16年の年月をかけ探し、全集が出た後にも、全国各地で講演をされ、そのみすゞさんの詩の心の大切さを訴えられてきた。その活動により、現在みんなが知る金子みすゞとして蘇った。
このMさんは、歴史的にも大切にしていかなくてはならないお墓が、あることで破壊されてしまうことになったことから、十数年かけて市民の皆さまと保存活動に動かれた。そしてその結果、高知市が動き、市の土地となり、新たに墓地公園として生まれ変わり、その墓地から私たちはいろいろな歴史上の人物が遺してくれた想いを受け取ることが出来る。
このお二方に、共通する行動力を感じました。
「自分のためではなく、後世に遺すために動く」想い。
それが、十数年という長い年月を動かしてきたものなんですね。
今年最後に、高知でこうした出逢いに恵まれたことは、私にとって、とても大きなものになりました。
龍馬の姉の乙女姉さんの娘、岡上菊栄さんのお墓もありました。彼女は高知で孤児収容施設博愛園の園母、園長として活動し、Mさんからは2000人もの孤児たちを育てあげた方なんだとお聞きしました。そのお墓の前に立った時、「博愛」という言葉がとても胸に響きました。
なんだか、私の心の中に、菊栄さんの心がすーっと染み込んでくるような、そんな感覚になり、涙が滲みました。
Mさんとの出逢いは、とても不思議なものでした。お会いできなければ、こんな想いもなく、ただ観光的に見ていただけだったかもしれません。
同じ景色も、全く違うものになりますね。
とてもご親切に、いろんなことを教えてくださったMさんに感謝です。
そして、これからも、いろんな場所でのいろんな出逢い、一つひとつ、大切にしていこうと思いました。
有難うございました。
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