4月9日は、「震災支援ネットびんご」に合流しての2日目。福島県南相馬市の勝縁寺本堂でのコンサートでした。ここでは、近くのお寺2か所のご門徒の皆様が、仮設住宅での避難生活をされておられることから、その方々が集まってくださいました。
この南相馬市へ入る道中、飯館村を通っていきました。飯舘村は全域避難指示区域なので、村の全ての地域で宿泊は出来ない現状です。
やはり、この地域にも、除染の大きな黒いシートに覆われた土の塊が道路沿いに並んでいました。そして人の姿は、ほとんど見られませんでした。
いろんな寂しい気持ちが込み上げてきましたが、コンサートのひとときは、心温まるひとときにと、気持ちを前向きに自分自身をもっていきました。

「大漁」からスタートし、「星とたんぽぽ」や「鯨法会」、「さびしいとき」と続きました。

皆さんと一緒に、福島県にゆかりある、美空ひばりさんの歌「川の流れのように」、そして童謡の「ふるさと」を一緒に歌いました。

手話でのみすゞさんの心を分かち合うひととき。とても楽しくしてくださって、嬉しかったです。

コンサートをとても味わってくださって、なんだかとても有難いひとときに感じました。仮設住宅でのいろんな思い、歌を通してこちらにも伝わってくるような気持ちがしました。
そして、終演後は皆さんと一緒にお食事です。
僧侶の方々がたくさんのお料理を作ってくださり、ピラフにビーフシチューに、中華風のものやお漬物まで、いろんなメニューが並びました。
いろんなことを話ました。
震災直後の避難の様子、車で逃げる時の大渋滞、連絡が繋がらないもどかしさ、当時の様子をうかがっていると、だんだんとお話される言葉も、多くなっていきました。
私はその時気づきました。
私から質問をして初めて、その当時の様子を語ってくださったことに。
それまでは、私への質問や、今回のことへの感謝の気持ちなどを伝えてくださっていました。でも、ご自分から当時の大変だったことをお話されることはありませんでした。
私は、せっかくこうして直接お会いしているのだから、もっといろんなことを聞きたいと思っていたので、ちょっと勇気のいることですが、思い切って質問をしたのです。
「仮設住宅を点々とされる方もおられるって聞きましたが、皆さんは今の仮設住宅にはいつ頃から?」と。
その言葉がきっかけでした。
周りに座っている4、5人の方々から、次々に震災直後からのエピソードを話され始めたのです。
あぁ、こちらからの言葉を待っておられたんだなぁ、、、と。
いろんなことをお聞きし、そしてとても印象深いエピソードが、「仮設住宅に暮らして初めて倖せを感じた」というおばあさまの言葉でした。
震災の日までの人生がとてもつらいもので、父親の記憶もなく、母親も早くに亡くなった。農業で春菊の栽培をしているが、赤字続き。そんな中、あの震災が起こった。
いつものように作業小屋で作業していた時に、大きく揺れた。すぐに「津波が来るぞー!」と叫び声が聞こえ、ご主人と二人、サンダル一つで逃げだしたと。
避難所で過ごす間に、周りが大変だということに気付いた。自分たちも家は流され、全て失った。けれど、2人で生き残ることが出来た。ある家族はみんな流されてしまった、またある人は、自分一人だけ生き残って、家族みんな流されてしまった。。。
それを思うと、自分たちは2人とも助かって有難いと思ったと。
そして、仮設住宅で暮らしていると、たくさんの方々が訪れてくれる。
「初めて、人のふれあいを感じたんだー」と。
その言葉の後に、「きっと、ほとけさまが救ってくださったんだなー」と話されました。
そして、「うちの父ちゃん、70過ぎてんだけど、まだ働きに行ってんだあ。だっておらたち、また家建てるんだもん」と、にこやかに話され、そして
「あんたも、倖せになるんだよー。」
そんな言葉を、こちらにかけてくださいました。。。
今回、改めて、人の人生の背景は、みんなそれぞれ、本当にいろんな人生を抱えているんだと、実感しました。だから、人と会う時、自分の先入観で判断してはいけないと、そんなことも思いました。避難生活をされておられる方々、福島で生活されておられる方々、皆さん、それまでの人生が違うのだから、感じ方はみな違う。それを、一緒に考えてしまっていた。
避難生活をされておられる方は、こういう気持ちだろう。その決めつけは、結局心寄り添うことには、ならないんですね。
いろいろなことを、気づかせていただきました。
私にとって、やっぱり、復興応援コンサートで出遇う方々とのご縁は、本当に尊い、有難いものです。
きっかけはつらいものです。ですが、お導きには、心から、感謝しています。




